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愛犬が虹の橋を渡った日

カートとの思い出

愛犬(先住犬)の誕生日、2006年2月23日。今でも忘れることはありません。

まだ、娘が小学校低学年の時でした。カート:愛称かーくん(トイプードル)は家族の一員になりました。

娘は動物アレルギーがあり、犬や猫の毛を吸い込むとくしゃみや目・鼻の痒みが発症するため、動物を飼うのは難しいと思っていたのですが、プードルはシングルコート(アンダーコートがない)のため抜け毛が少なく、これなら娘もアレルギーが発症しないだろうと考え、私たちはトイプードルを迎入れる計画を始めました。

思っていた通り、娘はトイプードルと一緒に過ごしてもアレルギーを発症することはなく、いよいよ知人の紹介でかーくんを家族の一員としてお迎えすることになりました。

彼は13年私と共に生きてくれました。彼と生きた13年間、私たちの身の上に色々な出来事が起きました。

引越しも度重なり、環境が頻繁に変わりました。

私は専業主婦でしたので、なかなか正社員の仕事が見つからず派遣の仕事をしていましたが、2013年に都内の会社へ就職が決まり、住まいを東京へ移しました。

かーくんは、ひどい分離不安症でしたし、当時の私の収入ではペット可物件に住むことが難しく、かーくんを一時実家に預けることにしました。

それから6年間、両親がかーくんの側にいてくれました。母は耳掃除や歯磨きもしてくれ、外耳炎が悪化すると病院に通ってくれたり、両親には本当に感謝しています。

かーくんは、亡くなる1〜2年前からお腹に水が溜まったり病気がちになり病院通いをしていましたが、病院では鳴き通しで、鳴き続ける事はかえって病気を悪化させてしまうとのことで入院は難しく、通院でお薬を継続して飲んでいました。

ある日の深夜、母から電話がありました。母は電話口で泣いており、「かーくんがおかしいんだよ・・・発作起こして苦しそうにしてる。死んでしまうかもしれない・・・」と・・・。

私は休暇を取り、翌朝の始発電車で実家へ向かいました。どうか私が到着するまで息を引き取らないでと道中願い続けました。

実家へ到着すると、彼はまだそこにいてくれました!すっかり衰弱しており、立つこともままならない様子でしたが、私の声を聞くと立ち上がり私のそばへよろよろと近寄って抱っこをせがみました。

母:「あんたの帰りを待ってくれていたんだよ・・・」

何分かおきに発作を起こしており、苦しそうな顔をしては体を硬直させていました。心臓をマッサージしてやると落ち着くようで、発作のたびに心臓マッサージしましたが、あまりにも苦しそうで、それ以上苦しい思いをさせるのも辛く、私は最後の発作が起きた時、彼の体をそっと撫でてやり、虹の橋を渡らせました・・・。

 

2019年10月15日、かーくんは虹の橋を渡りました。

 

「13年間私と共に生きてくれてありがとう・・・。最後まで一緒にいてあげられなくてごめんね。」

今でも思い出しては、そんな気持ちになります。

 

現在は、定職に着き、生活が徐々に安定してきたので、新しい土地での生活をスタートさせ、私の人生最後の家族としてキキ(現在の愛犬チワワ)を2022年7月にお迎えしました。(当時7歳)

かーくんにしてあげられなかった事をキキにしてあげるつもりですし、どんな事があっても、キキと離れて暮らす決断は絶対にしないと心に誓っています。

思い出

我が家に来て間もない頃

パピーのころ

とても元気でやんちゃな男の子でした。

とてもハンサム

最後の日に撮影したかーくんです・・・

亡くなった日


どんな時でも私に寄り添い、離れて暮らしてる時も私の心の支えになってくれていました。

今でも度々彼のことを思い出すのは、私のそばに来て話しかけてくれている時なんだろうなと思っています。

 

天国でも来世でもいいから彼に再会できる事を願っています。

墓石にお花をあげる

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